価値。
よくよく考えてみると、不思議なことばです。
私たちは何に価値を持つのでしょうか?
これ、とっても重要な質問だと思います。
私たちは何に価値を持つのか?
ではちょっとこれ、考えてもらえますか。
お金に価値はあるのか?
ないです。お金自身に価値はない。
紙切れです。
では、お金とは何か?
このことを深く考えても仕方がありません。
とりあえず、何かと交換できる「紙」とでも覚えておいてください。
お金とは、その程度のものなのです。
もし、あなたがお金には価値があると思っていたら、
本質的、内面的に価値がないものを信じていたら・・・
お客さんの感じている、本当の価値を見抜くことはできません。
お客さんの感じている本当の価値を見抜くことが
できなかったら、あなたは生涯貧乏なままです。
だって、商品が売れないのですから。
なので、あなたは価値のないものを見極める能力を
身につけなければならないのです。
こんな例があります。
猿がいました。猿にお金の使い方を教えました。
おもちゃのお金を猿に渡します。
バナナを差し出します。
お金と引き換えでなければ猿にバナナを渡しません。
始め、猿もなにをどうしていいか理解できません。
しかし、何度も繰り返していくうちに猿は、
お金を渡せばバナナが手に入ることを理解します。
理解したら、バナナを得るためにお金を持ってくるようになります。
お金があればバナナをもらえるので、お金を大切にします。
他の猿も真似をします。
猿全部がバナナを得るために、お金を差し出すようになりました。
お金に価値がある。お金があればバナナをもらえると
皆が思うようになった。
そして、おもちゃのお金を奪い合うようになり、
殺し合いが始まったのです。
驚きですが、最終的に雄の猿がお金を差し出し、
メス猿を買うようになったのです。
実話です。怖いですね。
自分たちも同じようなことをしていないでしょうか?
もうひとつ面白い話があります。
江戸時代に吉原という場所がありました。遊郭ですね。
そこで働く女で、花魁という最高級の女と
普通の売春婦がいました。
花魁はお金を持ったことがありません。
小さなころからお金というものを見せないで
お金がなんであるかということも
教えないで、芸と教養と男に尽くすことだけを
教え込んできた。
お金というものを一切見せないで、与えないでいた。
すると、花魁はお客がお金で釣ろうとしても動じない。
お客がお金で何かをさせようと思っても、
お金というものに価値を置いていないので、
なんの反応も見せない。
で、花魁という崇高な地位を築いていた。
ところが、お金で買われるということを
知っている普通の売春婦は、お金に媚、お金を欲しがりなんでもする
最低の女になり下がっていった。
花魁は本質的な価値を大切にすることを学んでいった。
なので、今のお金で一晩100万円単位の稼ぎがあった。
普通の売春婦は1万円くらいの稼ぎ。
その差は100倍。
本質的な価値を知っているかどうかで、
100倍の差が出てしまうのです。
男は、本質的な価値にお金を払う。しかも希少価値がある。
そこに魅力を感じる。
女にとってお金は意味のないことだから
もっと価値は上がる。
あなたがお金に価値があると思った時点で、
猿になるということ。
安物の売春婦になり下がるということです。
価値を上げるには本質的なものに注目していくしかない
のです。
ここでいう価値がわかれば、失敗が少ない。
投資で失敗するということもなくなります。
私も投資で痛い目に会いました。
お金に目がくらんで猿になっていたのです。
お金を追い求めれば、お金にしっぺ返しを食らう。
いい経験をしました。
取り返しがつくのですから
いい経験ですよね。(笑)
…
明日は思考を『逆』にする話をします。
今日もここまで読んでくれて、
本当にありがとうございます。
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